2011年03月31日(木)
地震発生から20日が過ぎ、
暦は明日から4月。
関西でもミネラルウォーターが棚から姿を消し、
観光地のライトアップも節電で自粛中。
募金をして、支援物資を送って、
できることはしているけれど、ずっと気持ちが落ち着かない。
復興には多額の が必要。
義捐金頼みにも限界がある。
被災者ではない私は、
萎縮しないでそろそろ最末端でも経済を回していかなくちゃ。
消費税が上がったって、消費が下がれば意味がない。
企業が赤字じゃ法人税が国庫に入らない。
萎えてしまいがちな気持ちを奮い立たせて
来週は友人と食事に行こう、
コンサートへ行こう、
春物の服を買おう、
本を買おう。
自分が続けられることを続けよう。
いつか必ず戻ってくる平穏な日に
ふたたび被災地の友人とあえるまで。
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2011-03-31 23:37
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2011年03月28日(月)
2011-03-28 23:51
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10年来親しくさせて頂いている
カウンセラー氏の奥様が亡くなりました。
6年に渡る闘病生活最後の3か月余りは、
ご自宅で緩和ケアを受けられました。
3月26日(土)献身的な介護をされたカウンセラー氏の腕の中で、
息を引き取られたそうです。
お通夜と告別式に家族全員で出席させて頂きました。
56歳の若さだったそうですが、
ご自宅で愛する人に支えられて幸せな最期だったと思います。
心よりご冥福をお祈りします
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2011-03-28 21:53
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2011年03月27日(日)
ランドセルメーカーの「協和」では、
新一年生には新品のランドセルを、
2年生以上の小学生には不要になったランドセルを修理して
送るキャンペーンを展開しているそうです。
メーカーWEBサイトより↓
中、高学年の小学生のみなさんには、
今年6年生を卒業するお子様から不要になったランドセルを寄付頂き、
協和の工場で修理し、きれいな状態にしてお送ります。
ランドセルメーカーからのお願い
岩手、宮城、福島3県だけでも
今年入学予定の児童数は4万9千人ほどいらっしゃいます。
今年2〜6年生になる在校生は25万人になります。
新品を含め、必要とされるランドセルを
協和1社から供給できる数は限られており、
全てをまかなうことができません。
そこで是非みなさんに以下のご協力をいただきたいと存じます。
今年卒業される小学生のみなさんには
不要なランドセルをお送り頂くようお願いいたします。
被災地の子供たちに喜んでランドセルを使ってもらうために、
以下の点をご確認頂けますようお願い申し上げます。
1.ランドセルについて
通常の形状のランドセルで、
色は、黒、紺、赤、ピンク系のみ受付させていただきます。
多少の傷み、汚れは工場で手直しして、
きれいにしますが、余りに損傷が激しいものは、ご遠慮ください。
他社メーカーの物も受け付けます。
ただし、修理ができない場合がございますので、
状態の良好なものに限りお送りください。
校章の入っているものはご遠慮させていただきます。
素材自体の劣化が激しい場合、
使われるお子様の立場に立ってご判断し、お送りください。
詳しくはこちらから↓
http://fuwarii.com/charity/
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2011-03-27 21:30
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2011年03月24日(木)
宅急便の方が届けてくれました

提出した卒業研究に先生の講評が入って
同封されていました
本当に卒業したんだなあ
やっと実感がわきました
卒業式には64名が出席されたそうです
残念でしたが
神様から「まだ卒業するのは早い」
と言われているんだと解釈することにしました
生涯勉強です
今は感謝の気持ちでいっぱいです
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2011-03-24 21:24
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「災害がほんとうに襲ったとき」
中井久夫編
『1995年1月・神戸 「阪神大震災」下の精神科医たち』
(1995年3月刊・みすず書房)より
以下タイトルの抜粋です
Part1.
電話は多くの生き残った人に
「自分は孤独ではない We are not alone 」
という感じを与える効果があったと私は思う
Part2.
個々のスタッフの臨床の練度が
老医である私をしばしば凌いでいることを私は悟っていた。
臨床を第一とし、優秀な実験室研究者でも
臨床の分担を免除軽減することのない伝統が試されるのは今だと私は思った。
Part3.
有効なことをなしえたものは、すべて、
自分でその時点で最良と思う行動を
自己の責任において行ったものであった。
指示を待った者は何ごともなしえなかった。
統制、調整、一元化を要求した者は
現場の足をしばしば引っ張った。
Part4.
私は、整理された部屋が一つでもあることは
心理的に重要であることを知った。
次に私がしたことは、電話番であった。
第三の仕事は、ルートマップの作成であった
Part5.
ボランティアがいてくれるからこそ、
われわれは余力を残さず、使いきることができる。
孤立していれば、漂流ボートの食料や
孤立した小部隊の弾薬と自分のスタミナを
どのように配分し「食い延ばし」たらいいかわからない。
3人しかいなければ3人でできることが頭に浮ぶし、
7人なら7人でできることがというふうに
Part5.
私は行き帰りの他は街も見ず、
避難所も見ていない。
酸鼻な光景を見ることは、
指揮に当たる者の判断を情緒的にする。
私がそうならない自信はなかった。
動かされやすい私を自覚していた。
Part6.
突然、避難民をあずかる羽目になった
校長先生と教員たちの精神衛生はわれわれの盲点であった。
校長先生たちは災害において
このような役割を担おうとは夢にも思っておられなかったはずである。
Part7.
店を開いた人たちが争って値下げをしたということは
「私はよい商人である I am a good merchant」という
態度表明である。
これは町の将来、人々との交流の将来を信じているからである。
Part8.
どうしたかというと、ボランティアの医師をどんどん入れ、
ヘリコプターを使って患者を運び入れた。
入院患者は廊下にあふれ、押入れにまではいった。
廊下に患者を寝かせることは違法である。
行政官は最後に「そんなこと私に報告しないで下さいよ」と言ったそうである。
いっぽう、東京都では休暇をとってボランティアに来た精神科医は
「都知事より先に行くとはけしからん」と叱責されたと都精神科医よりのファックスにあった。
<最後に・・・>
夕方、秘書とJR神戸駅前に向かって歩いた。
春の匂いを風が運んでいた。
すべてはほどけてやわらかかった。
「終わったという感じが流れているね、
まだ不通の電車も避難所もあるのに」
「4、50日しかスタミナは続かぬだよ、生理的に」
「その間に主なことをやってしまう必要がありますね」。
われわれはやりおおせたのだろうか。
(3月2日記)
本文全文 用はこちらから
→http://homepage2.nifty.com/jyuseiran/shin/shinall.html
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2011-03-24 08:33
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2011-03-24 08:09
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