灘の酒蔵
2011年03月20日(日)
母を連れて夫と出かけました

灘の酒蔵へ







この辺りは阪神淡路大震災で甚大な被害を受けた地域です

廃業に追い込まれた酒造会社もたくさんあったようです

震災直後の

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/photo/oogimoto/each/000864.html

この状態からよくぞ再建されたと感動しました


東北には地酒の酒蔵もたくさんあると思います

どうか復興して欲しいです

私も微力ながら消費者としての努力は惜しみません


小磯記念美術館へ

これが学割を使う最後になるでしょう





中庭にはアトリエが移設されていました

こじんまりとした素敵な美術館でした

2011-03-20 21:34 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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しあわせ運べるように
2011年03月19日(土)
毎年1月17日の阪神淡路大震災の起こった日に

神戸の小学校では全校生徒がこの曲を合唱し

慰霊のつどいが行われます







今絶望の淵にいる方へ

必ず平穏な日が戻ってきます

決して希望を捨てずに生きていてください

2011-03-19 23:13 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
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震災疎開
一緒に卒業式に出席するはずだった東京の友人が

関西に疎開していることがわかり

4歳のお子さんが退屈していると聞いて

子どもを遊ばせながらおしゃべりできる場所で

再会してきました




http://www.kobekko.or.jp/


阪神淡路大震災にあったのが

ちょうど息子4歳、娘5ヶ月の1月でした

震災1週間後に東京の実家へ震災疎開していたので

他人事とは思えません


大人は余震や物不足、原発問題など

危機感を持って生活していますが

幼い子供はただ親のいつもと違う様子を

敏感に感じ取るものです(親も必死ですから仕方ありません)

親は不安を言葉にすることができ

吐きだすことで気持ちが落ち着きますが

幼い子どもは行動や身体症状に出るようです

一番顕著な例が「赤ちゃん返り」だと言われています

不安を解消する方法なのでしょう


阪神淡路大震災のあと

神戸ではまず中学校にスクールカウンセラーが設置されました

臨床心理士の知名度が上がったのがこのタイミングだったと思います


http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/kurashi/200911kokoro/06.shtml


今後東北でも心のケアが必要になってくるでしょう

2011-03-19 22:05 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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祝!九州新幹線
2011年03月18日(金)
東北大地震の翌日

ひっそりと開業した九州新幹線

人々の屈託ない笑顔を見ていると

泣けてくるのはなぜなんだろう





いつか東北新幹線の沿線でも

復興した人々の笑顔でCMを作って欲しいです

それまで希望を失わずにいてください

2011-03-18 22:48 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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卒業おめでとう
避難所になった小学校で卒業式が行われたそうです



http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110318-00000028-maip-soci

自衛隊・消防団・被災している人たちがアーチを作り

小学校を卒業して行った6年生

おめでとうございます

命があれば何でもできる

この経験が糧となって大きく成長していきますように


私はといえば

卒業を家族が祝ってくれました







夫と子どもたちがをくれました

はホワイトデーの


家事を放置してにかじりついてばかりいて

ごめんなさい

でも・・・

卒業式がになったということは

まだ「卒業」してはいけない、ということだと

一人早合点している私です

2011-03-18 22:34 | 記事へ | コメント(10) | トラックバック(0) |
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みんなが安心して眠れる夜がくるように
2011年03月17日(木)
明日で地震発生1週間になります

避難所にいる人はもちろん

たくさんの人が

計画停電や原発や余震への不安で

ぐっすり眠れない夜が続いていると思います


神戸で地震にあったときも

数日間は靴を履いて寝ていたことを思い出します

でも全国各地のナンバープレートをつけた緊急車両が

走っているのを見てとても勇気づけられました


どうかみんなが安心して眠れる夜がきますように


娘が、ネット上ではみんな枝野さんを心配しているよ、

とこんなを教えてくれました

http://getnews.jp/archives/104968


ちょっと不謹慎ですが

(確かにいつ寝ているのか心配ですね)


それでも平穏な日は必ず戻ってきます

ぐっすり眠れる夜は戻ってきます

希望を失わずにいてください

2011-03-17 21:50 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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海を見る自由
2011年03月16日(水)
求めているときは与えられるものなのですね

こんなメッセージにさきほど出会い

感動で心が震えました




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




学校からのお知らせ
卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。


 諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
 また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。

 とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。

 未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。

 このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。

 諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。

 大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

 大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。

 多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。

 楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。

 君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。

 学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。

 誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

 言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためでなないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

 中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。

 大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。

 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

 池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。

 「今日ひとりで海を見てきたよ。」

 そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

 悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

 時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

 いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

 海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。

 鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。

 教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。

 「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32



 一言付言する。

 歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。

 泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。

 今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。

 被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。

 巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。

 本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)

 被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。

 梅花春雨に涙す2011年弥生15日。



立教新座中学・高等学校


校長 渡辺憲司


http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/


人生に一度の幼稚園、小学校、中学校、高校、大学の

卒業式という晴れの日を

迎えることのできなかった若い命に

思いが至らず浅はかでした

2011-03-16 21:36 | 記事へ | コメント(4) | トラックバック(0) |
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卒業式出席を諦めました
2011年03月15日(火)
今週金曜日、大学の卒業式へ出席しようと思っていました。

子どもの卒業式じゃなくて自分の卒業式

地震なんかに負けずに行こうと思ってました。

しかし・・・

実家に泊まるにしても、妹宅に泊まるにしても

計画停電でが動いているかどうかわからない

しかも卒業式典は中止、教室で学位授与され、

その後のお祝い会、卒業パーティは中止


もともと通信の勉強だったので

卒業式があるとは思っていませんでした。

でも勉強会やスクーリングで知り合った学友、

先生方と過ごせる時間を楽しみに

卒業式出席を決めたのですが、

悩んだ末出席を諦めることにしました。



結論を出す作業の中で

自分が何に重きを置いているかがわかりました。

「卒業式」ではなくて、「ご縁のあった人と過ごす時間」でした。


これまでにも通信教育で資格を取得したことがあり、

修了証書はで送付されました。

大学も「通信制」なのでそうなんだろうと思っていました。

だから「式」に行けないことはそんなにショックではありません。


でも、社会人と勉強を両立させた喜びを分かち合いたかった。

角帽を飛ばしたかった。(角帽なんてないけど)


人との出会いは一期一会なんですね。

それぞれの持ち場に戻って

与えられたタラントを発揮できるように。

そしてご縁があればまた再会できますように。


卒業式の日は家族とお祝いしようと思います。


2011-03-15 21:29 | 記事へ | コメント(6) | トラックバック(0) |
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ニックネーム:mkfamily
性別:女
海の見える家で暮らしています。通信制大学で心理学を勉強し、2011年春卒業しました。

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