変わる家族と介護
2011年04月17日(日)
私を含め周囲の知人友人と

親の介護について話をする機会が増えてきました

大学の家族関係論でも

日本の福祉制度が家族、特に「専業主婦」を想定して

成立していることを学びました








以下 本文から




「家族という資源」がやせ細っていることを痛感する。

そのやせ細り方は、そのまま、

私が現在関わっている支援現場に

「高齢者虐待問題」「処遇困難な問題」を

抱える家族としてあがってくる事例とも通じている。


日本の社会は、家族に、最終的に個人を守る

「セーフティネット」の役割を担わせるかたちで

これまでやってきた。

・・・中略・・・

家族が重大な生活困難に陥ったとき、

どこからも救いの手がなく、命までが脅かされるようとしている事実があった。


・・・中略・・・

子世代の安定した雇用環境、

子世代の高い結婚率、

専業主婦としての息子の妻の存在、

夫の親の介護は「嫁」が担うべきという家族規範。

さらには下の世代の甥や姪を含めた親族との

親密な関係・・・。

そうしたものが、「セーフティネット」として

家族が備えている条件と考えられていた。


    「変わる家族と介護」春日キスヨ 講談社現代新書より

http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1103003573/subno/1




障害者をもつ家族も同じような問題を抱えています。

障害児をもつ母親は一般的に仕事をもつことが困難です。

家族のあり方は様々ですが、

「家族」を単位とした福祉制度から

「個人」へとシフトさせていく必要に迫られていることを痛感します。

2011-04-17 16:17 | 記事へ | コメント(8) | トラックバック(0) |
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仏教・キリスト教・死に方・生き方
2011年04月07日(木)


玄侑さんの「阿修羅」を読んで以来

これが2冊目になります


まえがきより


・・・やはり宗教は人の数だけある。

問題なのは教義ではなく人なのだと思うようになった。

・・・中略・・・

やはり宗教は人なのだ。

・・・本当に生きるということは、おそらく概念を離れることだ。

そしてそうなると、神でも仏でもよくなってしまう。

・・・どんな宗教も、深く掘り進むと同じ水脈に通じるという、

昔からの思いが今回確信になった。・・・・


http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=272300X




今朝の朝日新聞「いま伝えたい 被災者の声」より


「天災だから人を恨まなくてもいいのが救いかな。」






この言葉は日本人の一般的な自然観だと思います

神を恨んだり呪ったりしないこの国の文化

外国から見たら、原発問題にも騒がない不思議な国に見えるのかな





2011-04-07 22:58 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
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本を開いても頭に入りません(-_-;)
2011年03月28日(月)
図書館に予約を入れてから3か月以上も待って

ようやく順番が回ってきたというのに

東北関東大震災以来を開いても頭に入ってきません


貸出期限が迫り、順番待ちの人もいるようなので、

残念ですが今回はざっと目を通しただけで明日返却します


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「わるいところさがし」「選別・判定」のためのチェックシートはもういらない!



http://www.seikatsushoin.com/bk/050%20checksheet.html


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ある意味、大人より賢く、想像力に富み、
思いやりがあり、意識も鮮明である。
最新科学の知見から、
赤ちゃんの驚くべき能力が次々に明らかにされつつある。
赤ちゃんを“再発見”することは、
とりも直さず人間の可能性を広げることになる。
その“深遠な世界”へと誘う全米ベストセラー。




http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1102985837

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


もういちど予約を入れて

次に順番が回ってくる頃には

心にを読むスペースができていますように

2011-03-28 23:51 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
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「災害がほんとうに襲ったとき」より
2011年03月24日(木)
「災害がほんとうに襲ったとき」

中井久夫編
『1995年1月・神戸 「阪神大震災」下の精神科医たち』
(1995年3月刊・みすず書房)より

以下タイトルの抜粋です



Part1.
電話は多くの生き残った人に
「自分は孤独ではない We are not alone 」
という感じを与える効果があったと私は思う

Part2.
個々のスタッフの臨床の練度が
老医である私をしばしば凌いでいることを私は悟っていた。
臨床を第一とし、優秀な実験室研究者でも
臨床の分担を免除軽減することのない伝統が試されるのは今だと私は思った。

Part3.
有効なことをなしえたものは、すべて、
自分でその時点で最良と思う行動を
自己の責任において行ったものであった。
指示を待った者は何ごともなしえなかった。
統制、調整、一元化を要求した者は
現場の足をしばしば引っ張った。

Part4.
私は、整理された部屋が一つでもあることは
心理的に重要であることを知った。
次に私がしたことは、電話番であった。
第三の仕事は、ルートマップの作成であった

Part5.
ボランティアがいてくれるからこそ、
われわれは余力を残さず、使いきることができる。
孤立していれば、漂流ボートの食料や
孤立した小部隊の弾薬と自分のスタミナを
どのように配分し「食い延ばし」たらいいかわからない。
3人しかいなければ3人でできることが頭に浮ぶし、
7人なら7人でできることがというふうに

Part5.
私は行き帰りの他は街も見ず、
避難所も見ていない。
酸鼻な光景を見ることは、
指揮に当たる者の判断を情緒的にする。
私がそうならない自信はなかった。
動かされやすい私を自覚していた。

Part6.
突然、避難民をあずかる羽目になった
校長先生と教員たちの精神衛生はわれわれの盲点であった。
校長先生たちは災害において
このような役割を担おうとは夢にも思っておられなかったはずである。

Part7.
店を開いた人たちが争って値下げをしたということは
「私はよい商人である I am a good merchant」という
態度表明である。
これは町の将来、人々との交流の将来を信じているからである。

Part8.
どうしたかというと、ボランティアの医師をどんどん入れ、
ヘリコプターを使って患者を運び入れた。
入院患者は廊下にあふれ、押入れにまではいった。
廊下に患者を寝かせることは違法である。
行政官は最後に「そんなこと私に報告しないで下さいよ」と言ったそうである。
いっぽう、東京都では休暇をとってボランティアに来た精神科医は
「都知事より先に行くとはけしからん」と叱責されたと都精神科医よりのファックスにあった。



<最後に・・・>
夕方、秘書とJR神戸駅前に向かって歩いた。
春の匂いを風が運んでいた。
すべてはほどけてやわらかかった。
「終わったという感じが流れているね、
まだ不通の電車も避難所もあるのに」
「4、50日しかスタミナは続かぬだよ、生理的に」
「その間に主なことをやってしまう必要がありますね」。
われわれはやりおおせたのだろうか。
(3月2日記)


本文全文用はこちらから
http://homepage2.nifty.com/jyuseiran/shin/shinall.html

2011-03-24 08:33 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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阪神大震災のとき精神科医は何を考えどのように行動したか
今朝の朝日新聞朝刊(大阪版)に掲載されていましたので

ご紹介します



    

阪神大震災で精神科救急にあたった医師や看護師らの

地震発生から50日間の手記をまとめた、

中井久夫編『1995年1月・神戸 「阪神大震災」下の精神科医たち』

(1995年3月刊、みすず書房)が、

ご本人の許可を得て無料でネット公開されています。




公開までのいきさつはこちらから↓↓

東北関東大震災下で働く医療関係者の皆様へ

中井久夫「災害がほんとうに襲った時」電子データの公開および無償頒布につきまして(最相葉月)

http://homepage2.nifty.com/jyuseiran/shin/shin00.html





中井久夫「災害がほんとうに襲った時」
本文
(1ページずつ読む・パソコン、スマートフォン、携帯)
http://homepage2.nifty.com/jyuseiran/shin/shin01.html



パソコン
http://homepage2.nifty.com/jyuseiran/shin/shinall.html


電子書籍
http://homepage2.nifty.com/jyuseiran/shin/mae.epub

2011-03-24 08:09 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
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英国王のスピーチ
2011年03月06日(日)
昨日、夫と高1の娘と3人で観に行ってきました

http://kingsspeech.gaga.ne.jp/


学割使って行こうと思っていたのですが

夫も娘も観たいということになり

夫と一緒なら二人で¥2,000なので

http://www.eigakan.org/fufu/


史実に基づいて制作された映画だそうです

吃音に悩む皇太子(未来のジョージ6世)の

治療にあたるセラピスト(言語聴覚士)を観ていたら

家族ぐるみのおつきあいをさせてもらっている

ご近所さんのカウンセラー氏を

思わずにはいられませんでした


飄々として偉ぶらず

ユーモアがあって

経験豊かで

知識も知恵も豊富なひと

まるで映画の中のセラピストと同じです



この映画の主人公ジョージ6世は

現イギリス王室エリザベス女王のお父さんだそうです

もって生まれた役割を引き受けることも

才能のひとつなんですね



2011-03-06 09:12 | 記事へ | コメント(6) | トラックバック(0) |
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大学生の発達障害
2011年02月20日(日)


息子が小学校に入学した頃、

まだ発達障害の認知度は低く小学校側の対応も皆無でした

特にADHDの注意欠陥優性型は本人が困ることはあっても

先生や同級生を困らせることが少ないので

支援の有無は親が気付くかどうかにかかっていました

このを読むとつくづく「個性」という言葉を思います

http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E7%94%9F%E3%81%AE%E7%99%BA%E9%81%94%E9%9A%9C%E5%AE%B3-%E3%81%93%E3%81%93%E3%82%8D%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC-%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%88%E7%89%88-%E4%BD%90%E3%80%85%E6%9C%A8-%E6%AD%A3%E7%BE%8E/dp/4062789620


それでも、学生でいるうちは「お客様」なのです

現場では支援体制が整ってきています

問題はお金を稼ぐ「社会人」になってから、です

息子にとってはアルバイトで人間関係に恵まれていることが

何よりの社会的スキルUPの場です

ありがたいことです



息子が生まれたときお祝いにいただいた育児書です




挿絵は「ぐりとぐら」シリーズで有名な

やまわきゆりこさんです

育児中悩んだときはこのを読みました

今も佐々木先生のに助けられているご縁に感謝

http://www.amazon.co.jp/gp/product/483401732X/ref=pd_lpo_k2_dp_sr_2?pf_rd_p=466449256&pf_rd_s=lpo-top-stripe&pf_rd_t=201&pf_rd_i=4834014738&pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_r=12S69YYBNDV8FCYFKWM1

2011-02-20 20:34 | 記事へ | コメント(5) | トラックバック(0) |
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「あたりまえ」を疑う社会学
2011年02月18日(金)




http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/9784334033439.html


私が卒論のテーマを選んだ動機は「当事者性」でした

でも担当の先生のスタンスは終始

「主観的」なことは論文の中には入れないという指導でした


でも、「論文全体の客観性と言う意味において

当事者研究がないのは客観性に欠けるのでは?」

という屁理屈から

清書論文の中に入れてしまいました




このの中の「あとがき」に当事者性についてふれられています



最近の学生の問題関心をめぐる語りをきいていると

「自分ごと」「当事者性」というものを感じる。

・・・・中略・・・

こうした「自分ごと」「当事者性」という視覚から

現代の社会問題を考え

現実に接近して調べようとするとき

科学的客観性を装いながら

一般的で抽象的な概念や理論を駆使して現実を説明したり

現実から一定の距離をとっていたり

一段高いところから現実を眺め下したりする発想は

調べる本人にとって受け入れがたいものではないだろうか

               p244 あとがきより





3回も面接指導のために大学へ行きながら

先生と当事者性についての突っ込んだ話し合いを

諦めてしまったことが今さら悔やまれます

2011-02-18 21:32 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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ニックネーム:mkfamily
性別:女
海の見える家で暮らしています。通信制大学で心理学を勉強し、2011年春卒業しました。

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