卒業証書届きました(^_^)/~
2011年03月24日(木)
宅急便の方が届けてくれました




提出した卒業研究に先生の講評が入って

同封されていました


本当に卒業したんだなあ

やっと実感がわきました


卒業式には64名が出席されたそうです

残念でしたが

神様から「まだ卒業するのは早い」

と言われているんだと解釈することにしました


生涯勉強です


今は感謝の気持ちでいっぱいです

2011-03-24 21:24 | 記事へ | コメント(12) | トラックバック(0) |
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「災害がほんとうに襲ったとき」より
「災害がほんとうに襲ったとき」

中井久夫編
『1995年1月・神戸 「阪神大震災」下の精神科医たち』
(1995年3月刊・みすず書房)より

以下タイトルの抜粋です



Part1.
電話は多くの生き残った人に
「自分は孤独ではない We are not alone 」
という感じを与える効果があったと私は思う

Part2.
個々のスタッフの臨床の練度が
老医である私をしばしば凌いでいることを私は悟っていた。
臨床を第一とし、優秀な実験室研究者でも
臨床の分担を免除軽減することのない伝統が試されるのは今だと私は思った。

Part3.
有効なことをなしえたものは、すべて、
自分でその時点で最良と思う行動を
自己の責任において行ったものであった。
指示を待った者は何ごともなしえなかった。
統制、調整、一元化を要求した者は
現場の足をしばしば引っ張った。

Part4.
私は、整理された部屋が一つでもあることは
心理的に重要であることを知った。
次に私がしたことは、電話番であった。
第三の仕事は、ルートマップの作成であった

Part5.
ボランティアがいてくれるからこそ、
われわれは余力を残さず、使いきることができる。
孤立していれば、漂流ボートの食料や
孤立した小部隊の弾薬と自分のスタミナを
どのように配分し「食い延ばし」たらいいかわからない。
3人しかいなければ3人でできることが頭に浮ぶし、
7人なら7人でできることがというふうに

Part5.
私は行き帰りの他は街も見ず、
避難所も見ていない。
酸鼻な光景を見ることは、
指揮に当たる者の判断を情緒的にする。
私がそうならない自信はなかった。
動かされやすい私を自覚していた。

Part6.
突然、避難民をあずかる羽目になった
校長先生と教員たちの精神衛生はわれわれの盲点であった。
校長先生たちは災害において
このような役割を担おうとは夢にも思っておられなかったはずである。

Part7.
店を開いた人たちが争って値下げをしたということは
「私はよい商人である I am a good merchant」という
態度表明である。
これは町の将来、人々との交流の将来を信じているからである。

Part8.
どうしたかというと、ボランティアの医師をどんどん入れ、
ヘリコプターを使って患者を運び入れた。
入院患者は廊下にあふれ、押入れにまではいった。
廊下に患者を寝かせることは違法である。
行政官は最後に「そんなこと私に報告しないで下さいよ」と言ったそうである。
いっぽう、東京都では休暇をとってボランティアに来た精神科医は
「都知事より先に行くとはけしからん」と叱責されたと都精神科医よりのファックスにあった。



<最後に・・・>
夕方、秘書とJR神戸駅前に向かって歩いた。
春の匂いを風が運んでいた。
すべてはほどけてやわらかかった。
「終わったという感じが流れているね、
まだ不通の電車も避難所もあるのに」
「4、50日しかスタミナは続かぬだよ、生理的に」
「その間に主なことをやってしまう必要がありますね」。
われわれはやりおおせたのだろうか。
(3月2日記)


本文全文用はこちらから
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2011-03-24 08:33 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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阪神大震災のとき精神科医は何を考えどのように行動したか
今朝の朝日新聞朝刊(大阪版)に掲載されていましたので

ご紹介します



    

阪神大震災で精神科救急にあたった医師や看護師らの

地震発生から50日間の手記をまとめた、

中井久夫編『1995年1月・神戸 「阪神大震災」下の精神科医たち』

(1995年3月刊、みすず書房)が、

ご本人の許可を得て無料でネット公開されています。




公開までのいきさつはこちらから↓↓

東北関東大震災下で働く医療関係者の皆様へ

中井久夫「災害がほんとうに襲った時」電子データの公開および無償頒布につきまして(最相葉月)

http://homepage2.nifty.com/jyuseiran/shin/shin00.html





中井久夫「災害がほんとうに襲った時」
本文
(1ページずつ読む・パソコン、スマートフォン、携帯)
http://homepage2.nifty.com/jyuseiran/shin/shin01.html



パソコン
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電子書籍
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2011-03-24 08:09 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
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いかなごと小女子
2011年03月21日(月)
瀬戸内の海に春を告げる「いかなご」の季節になりました

この辺りの主婦は昼網のいかなごをキロ単位で買って

お醤油・ザラメ・しょうがで煮込みます







去年は私も「くぎ煮」を作りました

http://blog.zaq.ne.jp/family/article/1019/

何だか今年は作る気力がありません

ガスも使えるし、計画停電もしていないのに


阪神淡路大震災の翌年は

この「くぎ煮」をお見舞い返しにする家庭が多かったとききます



実は私は甘い味が苦手で

いかなごの稚魚「小女子」を干したものが好きです





いつも箱入りを淡路から取り寄せています

お酢をかけて食べるととっても美味しいですよ

2011-03-21 22:29 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
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灘の酒蔵
2011年03月20日(日)
母を連れて夫と出かけました

灘の酒蔵へ







この辺りは阪神淡路大震災で甚大な被害を受けた地域です

廃業に追い込まれた酒造会社もたくさんあったようです

震災直後の

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/photo/oogimoto/each/000864.html

この状態からよくぞ再建されたと感動しました


東北には地酒の酒蔵もたくさんあると思います

どうか復興して欲しいです

私も微力ながら消費者としての努力は惜しみません


小磯記念美術館へ

これが学割を使う最後になるでしょう





中庭にはアトリエが移設されていました

こじんまりとした素敵な美術館でした

2011-03-20 21:34 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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しあわせ運べるように
2011年03月19日(土)
毎年1月17日の阪神淡路大震災の起こった日に

神戸の小学校では全校生徒がこの曲を合唱し

慰霊のつどいが行われます







今絶望の淵にいる方へ

必ず平穏な日が戻ってきます

決して希望を捨てずに生きていてください

2011-03-19 23:13 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
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震災疎開
一緒に卒業式に出席するはずだった東京の友人が

関西に疎開していることがわかり

4歳のお子さんが退屈していると聞いて

子どもを遊ばせながらおしゃべりできる場所で

再会してきました




http://www.kobekko.or.jp/


阪神淡路大震災にあったのが

ちょうど息子4歳、娘5ヶ月の1月でした

震災1週間後に東京の実家へ震災疎開していたので

他人事とは思えません


大人は余震や物不足、原発問題など

危機感を持って生活していますが

幼い子供はただ親のいつもと違う様子を

敏感に感じ取るものです(親も必死ですから仕方ありません)

親は不安を言葉にすることができ

吐きだすことで気持ちが落ち着きますが

幼い子どもは行動や身体症状に出るようです

一番顕著な例が「赤ちゃん返り」だと言われています

不安を解消する方法なのでしょう


阪神淡路大震災のあと

神戸ではまず中学校にスクールカウンセラーが設置されました

臨床心理士の知名度が上がったのがこのタイミングだったと思います


http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/kurashi/200911kokoro/06.shtml


今後東北でも心のケアが必要になってくるでしょう

2011-03-19 22:05 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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祝!九州新幹線
2011年03月18日(金)
東北大地震の翌日

ひっそりと開業した九州新幹線

人々の屈託ない笑顔を見ていると

泣けてくるのはなぜなんだろう





いつか東北新幹線の沿線でも

復興した人々の笑顔でCMを作って欲しいです

それまで希望を失わずにいてください

2011-03-18 22:48 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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ニックネーム:mkfamily
性別:女
海の見える家で暮らしています。通信制大学で心理学を勉強し、2011年春卒業しました。

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