働くということ
2009年11月12日(木)
昨日のブログでふれた鳩山首相の所信表明演説の一部です
所要時間1時間弱という内容の中で
この部分がよく新聞で取り上げられました



<3>「居場所と出番」のある社会
「支え合って生きていく日本」

 (人の笑顔がわがよろこび)

 先日、訪問させていただいた
あるチョーク工場のお話を申し上げます。

 創業者である社長は、昭和34(1959)年の秋に、
近所の養護学校の先生から頼まれて
2人の卒業生を仮採用しました。
毎日昼食のベルが鳴っても仕事をやめない2人に、
女性工員たちは「彼女たちは私たちの娘みたいなもの。
私たちが面倒みるから就職させてやってください」
と懇願したそうです。
そして、次の年も、また次の年も、
養護学校からの採用が続きました。

 ある年、とある会でお寺のご住職が、
その社長の隣に座られました。

 社長はご住職に質問しました。

 「文字も数も読めない子どもたちです。
施設にいた方がきっと幸せなのに、
なぜ満員電車に揺られながら毎日遅れもせずに来て、
一生懸命働くのでしょう?」

 ご住職はこうおっしゃったそうです。

 「ものやお金があれば幸せだと思いますか」
続いて、

 「人間の究極の幸せは四つです。
愛されること、
ほめられること、
役に立つこと、
必要とされること。
働くことによって愛以外の三つの幸せが得られるのです」

 「その愛も一生懸命働くことによって得られるものだと思う」、
これは社長の実体験を踏まえた感想です。

 このチョーク工場は、
従業員のうち7割が「障がい」という「試練」を与えられた、
いわば「チャレンジド」の方々によって構成されていますが、
粉の飛びにくい、いわゆるダストレスチョークでは、
全国的に有名なリーディングカンパニーになっているそうです。
障がいを持った方たちも、
あるいは高齢者も、難病の患者さんも、
人間は、人に評価され、感謝され、
必要とされてこそ幸せを感じるということを、
この逸話は物語っているのではないでしょうか。

 私が尊敬するアインシュタイン博士も、
次のように述べています。

 「人は他人のために存在する。
何よりもまず、
その人の笑顔や喜びが
そのまま自分の幸せである人たちのために。
そして、共感という絆(きずな)で結ばれている
無数にいる見知らぬ人たちのために」




市橋容疑者が逮捕されました
大学卒業後ニート生活を送っていた彼が
逃亡資金のためという目的ができて初めて
働いたというのは皮肉なことだと思います


2009-11-12 13:35 | 記事へ | コメント(13) | トラックバック(0) |
| ★高齢者のうつ |
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海の見える家で暮らしています。通信制大学で心理学を勉強し、2011年春卒業しました。

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