ひきこもれ〜ひとりの時間をもつということ〜
2008年01月23日(水)
今年最初に借りて来た本の中の1冊。
「パパばなな」こと吉本ばななの父、
吉本隆明氏が書いた読みやすい本だった。



氏はご自分のことを「気質的ひきこもり」だと言います。
それは元来生まれ持った気質であり、病的なものとは区別される。
「正常」の範囲を狭めてしまうからつらくなる。
「孤独」をとことんつきつめて、その上で風通しよくやっていく。

高校生の頃、純文学を読むのが嫌になった時期がありました。
純文学の主人公のほとんどは「気質的ひきこもり」と言えるでしょう。

この本の中で心に残った言葉は、
「偽の厳粛さに耐えられない子ともが不登校になる」
「子ども自身も自分に対して寛大になってしまっている面がある」
「子どもの自殺は親の代理死である」
「自然死をするには生命力が要るから、老人たちは体を鍛える」

そして一番印象に残ったのは
「老いるということを長い間誤解していた」の中の一節・・・

それはある日突然やってくる。
老いというのはなだらかな変化だと思っていたのです。
手足を動かすのがだんだん億劫になっていって、
そのうちに自由に動かせなくなるとか、
そういう感じだと思っていた。
しかし、そうではなくてあることを契機にして、
がたりと落ちていくのです。
ちょっと寝込んで、起き上がるとふらふらする。
四、五日もすれば元に戻るだろうと思っていたら、
その「元に戻る」という感覚がわからなくなってしまっているのです。
・・・中略・・・
普段はあまり考えないようにしていても、ある軌道の中に入ってしまったら、
憂鬱で憂鬱でしょうがないというのが老人です。
その軌道に入らないためにはどうしたらいいかということが、
老人にとって一番大事な問題なのだと思っています。


私も老化とはゆるやかな変化だと思っていました。
何かを契機に突然やってくる・・・確かにそうかもしれません。
そんな自分を受け入れることも老いのひとつなのですね。

2008-01-23 22:11 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| ★読書 |
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海の見える家で暮らしています。通信制大学で心理学を勉強し、2011年春卒業しました。

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