2007年05月30日(水)
昨夜焼酎飲みながらこの本を読んでいたら、
最後の方でボロ泣きしてしまった。
著者は特別養護老人ホーム勤務を経て、
現在福岡市内の「第二宅老所よりあい」所長。
認知症の老人との日常生活がユーモアたっぷり、
愛情たっぷりで紹介されている。
著者曰く「ぼけ」に障害を与えているのは社会だ、と。
住み慣れた地域から離れ施設や病院をたらい回しにされることで、
お年寄りは混乱する。
その混乱を力ずくで押さえ込むことでますます症状はひどくなる。
「ぼけ」の問題は、本人の脳や人生のありようからのみ生まれるのでなく、
社会における不適切な対応が加わることで引き起こされている、と書かれている。
私がこの本を読むきっかけになったのは、
5月26日土曜の朝日新聞朝刊に載った著者の投稿だった。
「老いを受け入れる社会に」というタイトルだ。
〜私たちの社会は『克服すべきこと』と『受け入れるべきこと』を見分ける常識を失ってしまったように思う。
・・・老いとは生体組織の絶えざる衰退と機能不全のプロセスであると言われている。
訓練やセラピーで一時的に機能が向上しても、
そのプロセスからは逃れられない。
さらにその先にある死は生物であるが故の宿命である。
われわれの社会はそのことが前提になっていないのではないか。
・・・老いを予防することはできないという周知の事実とは裏腹に、
社会はその摂理にあらがう方向へ進んでいるように思えてならない。
・・・アメリカのテレビ番組に紹介された老人たちを見て驚いた。
101歳の女性がプールに飛び込む。
79歳の女性がチアガール姿で登場し脚線美を披露する。
高齢者であるという固定概念にとらわれずハツラツとすることは素晴らしいと
思う反面、どこか無理がある。
若々しく元気であらねばならぬという強迫観念が見え隠れしていると思うのは私だけだろうか。
私自身は年相応によぼよぼ爺さんになりたいと思う。
また「ぼけてもいいよ」といってくれる社会であることを望んでいる。
目を閉じて想像してみる。
老いて介護が必要になったときのことを。
横には同年代の男性。
ともに若い職員から質問される脳を鍛える掛け算を一生懸命になって解いている。
隣のおじいさんはみな正解なのに、自分はさっぱりわからない。
恥ずかしさと情けなさを味わったのち開き直る。
「そう長くもない余生をこんなことをして過ごすのか。
こんなことをしないとこの社会に存在できないのか」
これは笑えない話である。〜
母の老人ホームでも、計算と漢字のプリントをぼけ予防に使っている。
母は認知症ではないので、いつも高得点。
ホームの中では優等生だ。
いつか落ちこぼれになる日が来たら、それを本人が一番受け入れられないんだろうな。
子どもと老人は大事なことをたくさん教えてくれる。
知識ではなく知恵を。
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2007-05-30 22:03
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