母を神戸へ
2007年01月09日(火)
転勤族だった我が家は、私が結婚した後も、
父の単身赴任先へ母が通ったりしていました。
それでも、やはり長年住み慣れた土地を離れるのは、
なかなか抵抗があるものです。
神戸へ行く日が迫るにつれ、
母は関東への惜別の念が強くなっていきました。
結婚前から母の話し相手は、妹でなく私でした。
妹の子供はまだ幼児ですし、
一番近い老人ホームも車で30分以上かかります。
母も色々な条件を考えて、
神戸行きしかないと頭ではわかっていました。
2005年7月21日、老人保健施設を退所しました。
8か月ぶりに母を我が家へ連れて帰りました。
不安がっていた母ですが、
いざ帰ってみると、勝手知ったる我が家。
台所に立ったり、
神戸へ送る荷物をまとめたりし始めました。
病院にいた時は、してもらうことばかりだった母。
実家では自分しか出来ない用事がたくさんあります。
やるべきことがハッキリしている時、
母の表情は明らかにシッカリとしていました。
実家に3泊してから、新幹線で神戸まで向かいました。
老人ホームへ着き、母の部屋へ荷物を運びます。
母は不安そうな顔をしています。
食堂での夕食に同席しましたが、
「美味しくない」「栄養が足りない」などなど、
文句ばかりで険しい表情です。
この先馴染んでいけるのか、
母も私もとても心配でした。
でも、私の自宅まで徒歩5分の距離、
海と山に挟まれた環境。
きっと母も元気になると信じて、
神戸初日が終わりました。

2007-01-09 17:07 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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有料老人ホーム探し
2007年01月08日(月)
私は東京の出身です。
学生時代に知り合った夫が神戸出身だったので、
結婚後はずっと神戸に住むようになりました。
母も東京の人間、関西には知り合いもいません。
それでも、私は母を自分の近くに連れて来ようと決心しました。
欝になる前は難色を示していた母も、
今回はそれも仕方ないかという反応です。
父の法事が終わってすぐ、
私の自宅付近での有料老人ホーム探しを始めました。
こんな時はパソコンが力を発揮します。
自宅から歩いて行ける場所に2つ、
車で5分ほどの場所に1つ候補がみつかりました。
ちょうどゴールデンウィークだったので、
家族も一緒に行ってくれました。
夫は「アポなしがいいと思うで」と言いました。
確かにその方が普段の状態がわかると思います。
3つの候補のうち、自宅から一番近いホームは、
入居一時金ウン千万という高級老人ホームです。
でも、これまでの母の入院、転院生活から、
一番大事なのはハードではなく、
そこで働いている人や入居している人などの、
ソフト面だということがわかって来ました。
今母に必要なのは立派な設備ではないのです。
他2つは、最近増えて来ている一時入居金が、
あまり高くない「軽費老人ホーム」でした。
入居者は30〜40人というこじんまりしたホームです。
はじめに見学したFというホームは、
丘の上にあるので見晴らしはいいのですが、
車がないと行くことができません。
Rというホームは、駅から徒歩5分、
私の家からも徒歩5〜10分です。
駅付近には小さな商店があり、
ミニコープもあります。
母がその気になれば、自分で買物に行くこともできます。
Rというホームに予約を入れました。
仮入居の日が7月24日と決定しました。
後は母を説得するという大任が残っています。

2007-01-08 14:02 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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父の1周忌
2007年01月06日(土)
2005年4月28日
父の仕事上のお付き合いのあった方や、
親戚を招いて1周忌の法要を営むことになりました。
母は体力的には回復していたので、
会食は無理でも法要だけは参加した方がいいと助言しました。
母も妹も、1周忌の後で別にお墓参りをしてはどうかと乗り気ではありませんでした。
しかし母の回復への道に、1周忌への出席が重要だと思い、
何度か説得した結果、
ようやく母が行く気になりました。
喪服のこと、手入れをしていなかった髪の毛のこと、
母の方から相談して来るようになり、
顔つきもしっかりして来ました。
1周忌当日、妹が母を美容院へ連れて行き、
法要の会場まで連れて来てくれました。
私は来て下さる方の接待に専念しました。
法要の最後に母が「今日はありがとうございました」と挨拶をしました。
妹が母を老健へ連れて帰り、
その間に私が会食の席で挨拶をしました。
父の亡き後、母が体調を崩し入院したこと。
ご心配いただいた方への感謝。

母にとっても大きな節目の日になったことでしょう。
妹や私にとっても一段落という気持ちでした。
1年後の3回忌には、
必ず母を法要と会食の両方へ連れて行けるようにする。
心の中で決めました。
支えてくれた家族には本当に感謝でいっぱいです。

2007-01-06 17:26 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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介護老人保健施設への入所
2007年01月05日(金)
2005年4月母が介護老人保健施設へ入所しました。
病院では一日中パジャマで過ごしていた母も、
ここでは朝洋服に着替えます。
生活にも張りが出て来ました。
もともと食べることにあまり興味がなかった母でしたが、
相変わらずきざみ食やおかゆを食べています。
高齢者にとって噛むことは大事な事なので、
施設の相談員と話をした結果、
母が拒否しないよう段階的に普通食へ戻していくことになりました。

2007-01-05 21:52 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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療養型病院での3ヶ月
父が亡くなってからずっと、
高齢者の心について考える日々が続きました。
父が亡くなる前年、両親は結婚40周年を迎えたばかりでした。
長年連れ添った配偶者との別れ。
1人暮らし。
そして母が入院した病院で垣間見た「認知症」と言われる人々。
3ヶ月間の入院の間に、季節は春に代わろうとしていました。
病院の中庭では梅の花が咲き始め、
母は孫とお散歩を楽しむこともできるようになって来ました。

2007-01-05 14:57 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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療養型病院へ転院
2007年01月04日(木)
2005年2月上旬
風のない暖かい日でした。
母が転院する日です。
病院へ寝台タクシーを回してもらい、
母と妹と私の3人で乗り込みました。
母はもう歩くことができるようになっていたので、
自分から車に乗り込み、
寝るのは嫌だと座席に座っての移動となりました。
お昼ご飯を病院の食堂で3人で食べました。
入院以来初めての普通食です。
母はグラタンを頼みました。
笑顔を見せながら半分以上食べて、
私たちはホッとしました。
時間が来て母の病室へ案内されました。
数日間はナースステーションに近い
ICUのような部屋に入るそうです。
病院で決められたパジャマを拒否し、
私物は禁止なのを無理を言い、
やりにくい患者と家族だったと思います。
でも私たちは必死でした。
次に予約している老人保健施設に入る為には、
介護認定が必要です。
それには現在の主治医の意見が大きな影響力を持つようです。
主治医に手紙を書き、
この病院のお陰で母が精神的に落ち着き、
食事もほとんど残さず食べられるようになったことへのお礼、
しかし、母の自立の為には、
老人保健施設へ入所させるのが最良だと、
家族が考えていること。
その為に必要な介護認定を申請していることなどを、
訴えました。
幸い3ヶ月の入院中に要介護1が認定されました。
母の老人保健施設への入所は4月25日と決まりました。
そして父の1周忌を4月29日にすることも決定しました。

2007-01-04 21:06 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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療養型病院見学へ
2007年01月03日(水)
高速道路インターからほど近い郊外に、
その病院はありました。
内科と精神科(認知症)の療養型病院でした。
受付や相談室はホテルのような豪華さで、
これなら母もゆっくり療養できると妹とホッとしたのですが、
実際閉鎖病棟へ案内されて見た現実は、
私たちを暗い気分にさせました。
電気治療まで受けた人を内科では
受け入れ不可能だと言われ、
母は認知症の病棟へ転院することになりました。
1ヶ月待ちとのこと。
妹と話し合った結果、
母に必要なのは自宅のような場所でリハビリをし、
できるだけ以前のような生活ができるように最善を尽くそうということでした。
それには病院ではなく、
老人保健施設にできるだけ早く移そうということになりました。
転院するまでの1ヶ月の間、
妹の家に近い老人保健施設に予約を入れました。
3ヶ月待ちとの回答でした。
幸い母は段々に表情が豊かになり、
1月半ばには「私は何故ここにいるの?」と
訊いて来るまでに回復して来ました。
ようやく以前のような会話ができるまでになって来ました。

2007-01-03 23:20 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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転院先を探す
母への電気治療は続きました。
父が亡くなるまでは普通の生活をしていた母が、
車椅子に乗せられ無表情できざみ食を食べている姿は、
今も脳裏に焼きついています。
病院へ行きたくないという本音と戦いながら、
年は明け2005年になりました。
予約していた相談室へ行くと、
いくつかの療養型病院を紹介されました。
相談員さんが先方へ電話もして下さり、
その中に1軒へ見学を兼ねた相談へ行くことになりました。

2007-01-03 23:04 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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ニックネーム:mkfamily
性別:女
海の見える家で暮らしています。通信制大学で心理学を勉強し、2011年春卒業しました。

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