2007年04月05日(木)
小学校卒業したばかりの娘と、妹とその子どもたちで、
東京都練馬区にある「ちひろ美術館東京」へ行って来ました。
現在のような立派な建物になる前、自宅を建て増しした程度の頃に母と訪ねて以来です。
今回は娘のたっての希望でした。
絵の好きな娘はじっと絵を見て周り、
ちひろの書斎を再現した横にあったパネルの前で立ち止まりました。
「季刊ひろば春季号」のちひろの言葉が掲げてありました。
人はよく若かったときのことを、とくに女の人は娘ざかりの美しかったころのことを、
なににもましていいときであったように語ります。
けれど私は自分をふり返ってみて、娘時代がよかったとはどうしても思えないのです。
といっても、なにも私がとくべつ不幸な娘時代を送っていたというわけではありません。
戦争時代のことは別として、私は一見しあわせそうな普通の暮らしをしていました。
好きな絵を習ったり音楽を楽しんだり、スポーツをやったりしてよく遊んでいました。
けれど生活を支えている両親の苦労はさほどわからず、
なんでも単純に考え、簡単に処理し、人に失礼をしても気づかず、
なにごとにも付和雷同をしていました。
思えば情けなくもあさはかな若き日でありました。
ですから、いくら私の好きなもも色の洋服が似合ったとしても、
そんなころに私はもどりたくはないのです。
まして、あのころの、あんな下手な絵しか描けない自分にもどってしまったとしたら、
これはまさに自殺ものです。
もちろん、今の私がもうりっぱになってしまっていると言っているのではありません。
だけど、あのころよりはましになっていると思っています。
そのまだましになったというようになるまで、
私は20年以上も地味な苦労をしたのです。
失敗を重ね、冷や汗をかいて、
少しずつものがわかりかけてきているのです。
なんで昔に戻れましょう。
少年老いやすく学成りがたしとか。
老いても学は成らないのかもしれません。
でも、自分のやりかけた仕事を一歩ずつたゆみなく進んでいくのが、
不思議なことだけれど、この世の生き甲斐なのです。
若かったころ、たのしく遊んでいながら、
ふと空しさが風のように心をよぎっていくことがありました。
親からちゃんと愛されているのに、
親たちの小さな欠点が見えて許せなかったこともありました。
いま私はちょうど逆の立場になって、
私の若いときによく似た欠点だらけの息子を愛し、
めんどうな夫が大切で、
半身不随の病気の母にできるだけのことをしたいのです。
これはきっと、私が自分の力でこの世を渡っていくおとなになったせいだと思うのです。
おとなというものはどんなに苦労が多くても、
自分の方から人を愛していける人間になることなのだと思います。
読みながらうるうるしていた私は、娘に気づかれないようその場を離れたのですが、
娘も最後までこの文章を読んだのです。
思春期真っ只中の娘。
反抗したかと思えば甘えてくる不安定な心。
ちひろさんのこの言葉は娘の心にどう響いたのでしょう。
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2007-04-05 15:30
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