母の決断
2009年05月02日(土)
母の食事運びは続いているようです
その入居者の方は
自分の現状(自立歩行が困難)を
知られたくない、と言っているそうで

「でも・・・」と母

「エレベーターの中で乗り合わせた人に
あれこれ詮索されるのよね」

・・そりゃそうでしょ
エレベーターに乗って食事を運んでるのは
とても目立つはずです

母「連休はあなたの家族と食事をする予定もあるし
ちょうどいいチャンスだから
言おうと思ってるの」

介護付き有料老人ホームでは
入居時「自立」と「介護」を選択して入居します
入居金が違います(自立<介護)
その方は自立で入居されているのだそうです(母も)
介護で入居すれば食事の配膳もホームのサービスになるのです

母「私が運ぶのもボランティアだと思うことにしてるけど
これがいつまでも続かないだろうし
自立から介護に変更すると金銭問題も出てくるから
大変だと思うけど
家族と相談されたら?と言うつもり」

家族とは
以前ブログに書いた結婚して遠方に行った娘さんです

http://blog.zaq.ne.jp/family/article/602/


娘さんはめでたく結婚されたようです
そのことがお母さんにとっては
無意識レベルですが
私を置いていかないでという状態を
引き起こしている、と私は思います
意識では「娘の幸せを願っている」はずです


母なりにその人と向き合っているんだなあと
思います
でもホーム側は見て見ぬふりをしているような気がしています

ホームでは個人の生活にまで
踏み込まないのかもしれませんが
誰か個人が相談に乗ってあげたら、と
思わずにいられません
「生活相談員」という肩書きの人がいるのですが
母に言わせると「こんな相談はできない」そうです

このホームで「介護」に変更して生活するのか
結婚した娘さんの近くでホームを探すのか

母の善意は
その決断のタイミングにかかわってしまいました

人と向き合うのは
自分が安定していないとできないのだと思います

夫と死別して
70歳過ぎてから
関東から関西へ
慣れるのは大変だったと思いますが
正解だったんだと
母の行動を通して
確かめられたような気がします

「事実などない 認識だけだ」

最近知った言葉です
何かにつけ実感する今日この頃です




2009-05-02 08:46 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
| ★高齢者のうつ |
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「事実などない 認識だけだ」
この言葉が、ストンと心に落ちたように感じました。

ケアマネージャーの資格を持っていることもあり、mkfamilyさんのお母様の話
いつもとても興味深く拝見させていただいてます。

事実は人の数だけ存在する、とも聞いたことがありましたが
“認識だけだ”と思いきって言い切られたほうが、とても潔くてすがすがしくて
心に響きました。

素敵な言葉を、ありがとうございました。
クレアさん

コメントありがとうございます

私もこの簡潔な言葉を
日々反芻しています
(丑年のおうし座

ケアマネさんの資格お持ちなんですね

人に向き合うということは
その人の人生の一部に責任を持つ
ということなのかもしれません

人と接する仕事は
多かれ少なかれ
それを求められているんだと思います

頑張って勉強して
仕事や生活に生かしたいですね
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ニックネーム:mkfamily
性別:女
海の見える家で暮らしています。通信制大学で心理学を勉強し、2011年春卒業しました。

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