3人にひとりが癌になる時代
2007年11月27日(火)
人間論のレポートようやく完成
あとは返却を待って単位認定試験を受けるだけ
提出、返却、試験、すべてインターネットを使用するので、
24時間自分の都合のいい時に取り組める。
画期的な通信大学システムだと思う。

新聞で雑誌で、癌と戦っている人の記事を見ない日はないくらい。
父の死因であった「すい臓がん」の文字を見るとドキッとする。
自分も消化器系弱いしなあ。
もし今自分が・・・と考えると恐ろしくなる。
死ぬことが・・・というより、
子どもや夫や母を置いてはいけないという焦りだ。
子どもを残して亡くなった人たちの無念さが、
今はとても身近に思える。

父がすい臓の影があると診断され、
結果を聴きに行くとき同席した。
担当医は今思ってもすばらしい方だった。
きちんと病状を説明されたが、
今は副作用の少ない抗がん剤があり、
通院での治療が可能であること、
5年生存率は厳しい病気だがこの抗がん剤を使って、
5年たった今も元気な方がいること。
資料には冷酷な数字が並んでいたが、
先生の説明は希望があった。
父も母も深刻に考えていなかったようだ。
でも・・私だけが知っていたのだ。
10年ほど前よく知っていた人が、
すい臓がんの診断後3ヶ月で亡くなったことを。
発見が難しく、わかった時にはすでに末期で、
治療法もないことを。
でも奇跡が起きるかもしれない。
両親にはこのことは言わず、私一人の胸のうちにしまっておくことにした。
幸い抗がん剤の副作用は全くなかったらしい。
外来で点滴を受けながらお昼に何を食べようか
考えるのが楽しみだと。
その後仕事にも行っていたようだ。
5ヶ月ほど平和な日々が続き、
父は自分が癌だということを忘れそうだと言っていた。
治ってしまったような気さえする、と。
亡くなる2週間前には、母と富山のチューリップ祭りに行き、
元気な声で電話もしてきた。
ゴールデンウィークに私が上京するのを待ったかのように、
体調が急変。
2週間後に亡くなった。

ゴールデンウィーク中の入院だったので、
娘2人とそれぞれの家族とも会話し、
自分の思いを伝える時間も十分あったと思う。
私はまるで父の秘書のように、色々なことを頼まれた。
仕事のこと、葬儀のこと、母のこと、お金のこと。
父に反抗して遠くに行ったけれど、
父の秘書役は私にしか勤まらない。
葬儀が終わってふと父に「これでよかった?」と聴きたくなった時、
初めて涙がこぼれた。
子どもが大きくなってからは夏休みしか東京に帰ってなかったので、
父が亡くなってもあまり実感がない。
生きていても亡くなっても、
私たち家族の中に父が生きているから。

2007-11-27 22:56 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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ニックネーム:mkfamily
性別:女
海の見える家で暮らしています。通信制大学で心理学を勉強し、2011年春卒業しました。

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