人生の意味
2011年05月25日(水)
先週の土曜日の夕食に,
私の母と、
親しいカウンセラー氏を招きました
3月に奥様を亡くされてからうつ状態になられ
これまではお食事に誘っても
そんな気持ちにはなられないようでしたが
先週、母と歌川国芳展へ行ってから
だいぶ元気になられたようです
母は「先生に元気を出してもらいましょう」と
珍しく台所に立ちました
新たまねぎを切っていた母がふと
「私の母が亡くなったあと、こうやって新玉ねぎを切っていたら
もうお母さんはいないんだなあと涙が出てきたの
光熱費を集金にきた職員が(当時は自動振替じゃなかったんですね)
私の顔を見てびっくりしていたので
『たまねぎを切っていたら涙が出て・・』と言ったら
ほっとした顔をしたのを思い出したわ」と言いました
食事中母が、
「主人は空豆が大好きでしたの」と言って
父に供えるために小皿にとりました
母が父に何かお供えする気持ちになったのは
初めてのことです
ついこの間までは位牌も見ることができなかったのに・・
後日カウンセラー氏よりお礼の がありました
母が先生のために台所にたったこと、
父の死を受け入れるプロセスに変化があったことを報告し、
私もお礼を言いました
カウンセラー氏もまた、食事会以来食欲が戻ってきたと仰り、
名刺がなくなってきたのでまた作ってもらえますか?と言われました
名刺の原稿には
不安・悩み・トラブルのない人生などありません
そこには、あなたに特有の人生の意味があります
心を整理すれば、新たな自分の姿が見えてきます
とありました
ひとは誰かの役にたちながら 悲しみから立ち直っていくのですね
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2011-05-25 14:40
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時が解決してくれるんですよね。
どうして私が残される側だったのか?
なぜ死んじゃったんだろ?
なんて答えの出ない問いをしてしまったりしていたのを思い出します。
受け入れるには、やはり時間がかかりました。
長い年月をかけて、傍に居てくれてるのがわかるようになりました。
声や温もりなどをだんだんと忘れて、
故人そのもの?になってゆくような感じがしています。
魂がそのままそこにある。ということかもしれないです。
風になって
光になって
雨になって
いつも一緒にいますよね
英語だと "be" なのでしょうか