2012-02-15 17:50
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去年9月に図書館に予約していた の
順番がようやく回ってきました

http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334036386
ゲーム・アニメ・漫画に疎い私は
最初の方で挫折しかけましたが
途中読み飛ばし
後半の「児童文学」から
少しついていけるように・・・
サブタイトルの
「なぜ成長を描かなくなったのか」
その答えよりも先に
「なぜ成長しなくてはならないか」
「なぜ大人にならねばならないのか」
に対し
「実は私たちは、子どもを別の価値ある存在として
切り離したとき、
自動的に私たちを大人と定義づけただけではないでしょうか」
と著者は言います。
「大人社会の要請と
子ども自身の欲望とのバランスをとりながら
描かれてきた子どもの物語は
相変わらず大人としてだけ振る舞っている
大人社会から見れば奇妙でも、
子どもの側からすればこうしか見えない、
こう考えるしかない
大人と子供の差異が減少した世界を
正直に描いている」
子どもは成長して大人になるって本当か?
それ以外の選択肢もあるのではないか?
・・・というのが最終章でした。
3.11の震災後に書かれた
「あとがき」には
「う〜ん」とうならされました。
「子ども」とは大人の投影に過ぎないのでしょうか。
反芻の必要な でした。
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2012-01-25 23:33
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http://www.tarojiro.co.jp/cgi-bin/SearchMain.cgi?operation=3&ISBN=4-8118-0666-2
上野さんは社会がすべて
「学校的価値観」によって
支配されてしまったと言います。
「学校的価値観」とは、
未来のために今を我慢すること。
やればできる。
できないのは努力が足りないからだ。
だからがんばれ。
というもの。
学校化社会は誰も幸せにしない、
と氏は言います。
フランスの社会学者ピエールブルデューは、
学校を次のように定義しました。
1.学校とは「国民化」の装置。
生まれも環境もばらばらな人間を、
均質な国民に仕上げる。
2.「社会的階層を再生産するための装置」。
もともと階層差のある子どもたちを
もとの階層に再生産するための、
ふるい分けを行なう。
そして、
「教育年限の延長というものは、
二流のエリートに自分の二流性を納得させるまでにかかる
期間の長さである」
とも言っています。
ここを読んで私はハタと気づいてしまいました。
息子が自分のハンデに気づくために、
時間とお金をかけて大学へ通わせている、と。
来年は社会学の勉強をスタートさせたいと思いますが、
・・・できるかな?
サヨナラ学校化社会
上野千鶴子 太郎次郎社
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2011-12-28 23:33
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KAZEさんのブログで紹介された です
私が今年読んだ の中で
間違いなくベスト3に入る です
精神科医であり
「帰ってきたヨッパライ」に代表される
シンガーソングライターである北山修氏と
国文・神話学者である橋本氏の考察、
そしてお2人の対談からなっています

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4062879751.html
・・・私には、対象喪失にかかわる「はかなさ」の体験を取り上げ
その美しさとそれに伴う危険を論じることを目的とした論考がある。
とくに日本の神話や昔話のなかにたびたび登場し、
私が「自虐的世話役」と呼んだ人たちがいる。
こうした人たちは、
昔話の「鶴の恩返し」や「夕鶴」の女性主人公のように
自らを傷つけてまで他者に奉仕し、
消えていこうとする。
本文p44
イザナキ・イザナミ神話や
「鶴の恩返し」などに共通するのは
「見るなの禁止」です。
見るなの禁を破った男は
完全な存在だった母親に幻滅する子どもとして描かれています。
自らの欲望により対象を傷つけ、
また破壊してしまったことへの罪意識を抱えます。
しかし、日本の神話では「禁を破った」罪は問われません。
橋本氏は、禁を破った側に対する寛容性と、
「罪」を「水に流す」というこの国の思考方法は、
他国にはなかなか理解されない、と指摘します。
・・・・<禁>を破った側の<罪>を問わないという解決方法のなかに
<この国>における<罪悪感>の本質が存在している。
p139
北山氏は
「鶴の恩返し」や「夕鶴」のような
「過剰適応」の臨床ケースを治療・報告しています。
これからしばらく北山氏の関連本を読んでいこうと思います。
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2011-12-12 21:03
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2011-12-04 22:07
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