悲嘆・受容のプロセス
人は自分に死が訪れていることを知ったとき
どのような心の変化をたどるのか
有名な「受容のプロセス」と呼ばれるのが
↓これです
否認
自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。
怒り
なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階である。
取引
なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。何かにすがろうという心理状態である。
抑うつ
なにもできなくなる段階である。
受容
最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。
別名「悲嘆のプロセス」とも呼ばれています。
自分の死だけでなく
大切な人の死、
さらにはあらゆる喪失の場面で
同じようなプロセスをたどると言われています。
最近私は、傍で支える人にとっても
このプロセスは同じなんだと気づきました。
もっと他に方法があるはず、
でも自分のできる限りのことはしてきた、
それでも現状は決していいものではない・・・
8年前に父を亡くし、
そのまま母が鬱になったとき、
私は今と同じ心理状態にいました。
「元気な母」という母親像の喪失。
自分にとって大切な人が体験する「喪失」は
あたかも自分自身の喪失であるかのように
悲嘆のプロセスをたどる、ということがわかりました。
軽い抑うつ状態にいる私ですが、
連休明けには友人と で元気快復してきます
「死ぬ瞬間」
1999 エリザベス・キューブラー・ロス/著
読売新聞社
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2012-10-07 17:53
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★高齢者のうつ |
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Kazeも養護学校(現・支援学校)に勤務した時に知り、キューブラーロスの『死の瞬間』は、読みました
保護者の子どもの障碍への理解・受容の過程は、このプロセスだと思いました。
そして、Kaze自身がこのプロセスをたどっています。
今、どの段階かな…?
行きつ戻りつしているな…
詳しくはわかりませんが・・・
そういう心理状態にあられるとしても、
私のためにチケットの手配を手伝ってくださった
優しいmkfamilyさんを素敵だなと思います。
まだ、外向きに手を差し伸べることができるので、
どん底の状態ではないと思いますが・・・。
季節が冬に向かうこの時期、気分も暗くなりがちですが
美味しいもの、綺麗なもの、素敵な音楽に癒されてくださいね。
誰もがこのプロセスを経るわけでもなく
しかも一方通行でもない、と言われていますね
障害児の親の場合は、
慢性的悲哀とか言われていますが
イベント毎に
このプロセスを繰り返しているように思います
ありがとうございます
ご心配おかけしてすみません
日常生活は普通にしていますので
大丈夫です
ただ何となく気力が足りない・・・と言った感じでしょうか
このことだけが原因かどうかもわかりませんが
全国大会
小学校5年〜中学2年の1学期まで
父の転勤で住んでいました
いいところです
健闘をお祈りしています