しあわせ運べるように
1995年1月16日
生後5か月の娘がインフルエンザで高熱
母乳飲まない、おむつは半日カラカラ
看護師をしている友人に して
休日診療受けた方がいいか訊いたら
翌朝まで待っても大丈夫だと。
スプーンでお白湯飲ませて
ようやく眠ってくれたのが1月17日の明け方
深い眠りに落ちていた私の遥か彼方で
ガラスが割れる音
夫の「大丈夫か〜」という大きな声
外は真っ暗、停電で室内も状況わからず
棚から落ちた洋酒が倒れて割れ
部屋の中にアルコールの匂いが充満していた
こちらの人に「東京は地震多いから
関西に来てよかったね」と言われたのを
ずっと信じ込んでいたし
まさかあんな大惨事になっているとは思わず
「明るくなるまで動かない方がいいよ」と
呑気に私はまた睡魔に負けて眠りの森へ戻りました。
明るくなってだんだん部屋の状況がわかってきて
家具の扉があいて中身が落ちて
割れたものも多かったけど
家具の倒壊はなかったし
すぐに電気が復旧したので
とりあえず東京の実家 へ
心配ないことを伝えました
そこから が少しずつ被害を伝えはじめ
の前の道路が陥没していたので
夫がバイク で夫の を見に行くと
は全壊し両親は小学校の体育館に避難していて
涙の再会をしたそうです。
震災の年に生まれた学年の娘たち
小中学校では毎年
今日1月17日にこの歌を歌います。
「しあわせ運べるように」
東日本大震災で被災された方
心からエールを送ります
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2012-01-17 22:05
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★日記 |
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大阪で震度4でもスゴイ揺れでした(M市は、レンコン畑の上に家を建てている所が多いので、それ以上の揺れだったと思います)
その時、勤務していた学校は、地下の水道管が外れてしまって出水していました。
夏休みになって盆休みにウサギの世話に行くとガス漏れ警報
普段は、部屋を開けているので気がつかなかったのですが、2,3日閉めていたのでガスが溜まったようです。
大阪でさえこんな被害が出ていたのですから
mkfamilyさんの所は、大変だったと思います
ましてインフルエンザなんですから…
そう言えば、揺れが治まってテレビをつけたら
震源地を京都と報道していたように思います。神戸の情報が入らずに混乱していたのでしょうね…
子どもたちの歌声がいつまでも響きますね
そんなときにも、今動いても仕方ないと一眠り・・。そういう落ち着いた行動が出来るところがすごいです。
お嬢さんが病院に行けたのかどうかが気になりましたが。
大阪も大変だったのですね
大阪勤務の知人は
神戸港から
何事もなかったかのような大阪に
とてもショックを受けたそうです
震源地が京都と誤報があったこと
知りませんでした
あの頃は
もっぱらラジオから情報を仕入れていました
かかりつけの小児科
診察なしで薬だけ出してもらいました
臨時休診すると言われたのですが
必死に訴えました
徒歩圏内だったことと
当時はまだ院内薬局だったことも
幸いしました
まだ抗インフルエンザ薬もなかったので
風邪薬でしたがホッとしました
>落ち着いた行動が出来るところがすごいです
東北のように津波が来ていたら
アウトでしたね〜
2人目ということと、生後5ヶ月ということで
すこし気持ちに余裕が持てたのでしょうか。
でも、私だったらそんな落ち着いた行動とれたかな〜?
さすがです。
うちは当時NYに赴任したばかり。
偶然その晩「神戸」という
日本食レストランで家族で食事をしており、
神戸出身だという店員のお嬢さんが、
「実家と電話がつながらない」と
泣き出しそうになりながら話していたのを覚えています。
もう、17年経つのですね。
お嬢さんと同じ年です
あの頃はただひたすら可愛かった
ご主人は学生時代の思い出が
たくさんおありだったでしょうね
きっとすっかり変わってしまったんだと
思います